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マルチピュアの特集

古庄佳苗さんインタビュー第2回 「物置だったプレハブが我が家」

2016.02.03

生花店から農業の道へ、大きな方向転換をすることにした古庄さん。
第2回目の今回は、実際の農業経験、子育てについてもお聞きしました。

【ぜひ第1回から合わせてお読みください】
インタビュー第1回 「それじゃ、自分で作るしかない!」
 
全く新しい世界へ飛び込むのは、とても勇気がいると思います。
私が同じ状況になったら、尻込みしてしてしまいそうです。

古庄さんにその頃のことを聞いてみました。

大きな方向転換

―農業の道に行くのは、大きな方向転換ですよね!迷いはなかったのですか。
 
有機農業を中心とした暮らしのなかに、環境問題の解決策があると感じていました。
だから、農業の道へ進むこと自体にはなんの迷いもなかったです。
そのときは本当にそれをやるしかないと思っていたので、まっしぐらでした。
 

―周囲の方はどんな反応でしたか。
 
自分の気持ちに迷いはありませんでしたが、家族からなかなか理解を得られなかったのは、とても苦しい期間でした。

家族は最終的には行かせてくれましたが、心から納得はしていなかったと思います。

母の「まあ、どうしたら一番幸せになるかは、わからないしね・・・」という言葉は、忘れられません。この言葉がきっかけで、農家さんへの住み込みのお許しをもらうことになりました。どうなることか、という感じで、心配しながら見守ってくれていたと思います。
 

農家で住み込みのお手伝い

―農業を始めるのに、まず何から取り組まれたんですか。
 
友人に紹介してもらい、まずは有機農業で自給自足を目指すお宅へ伺いました。
お世話になったのは、定年退職後に山梨に移住して、「農的暮らし」を実践していたご夫婦です。そこで住み込みで手伝いを始めました。
 
―最初から住み込みなんて勇気がいりそうですね!
 
あちらの方も、住み込みで手伝いたいという申し出を、よく受けてくれたなと思います。私がどんな人かもわからないのに、一緒に生活するわけだから。今でも本当に感謝しています。

ご夫婦が物置にしていたプレハブを、自分の部屋として使わせていただいていたんですが、そこは、標高が800メートルくらいだったのかな。冬はすごく寒いの。(笑)
 
―そこではどんな生活だったんでしょう。
 
農作物を少し納品したり、買い物もしたりしながらの自給生活でした。そこでは、有機農業で自給自足を目指す過程を見ることができました。
 
―自給生活で得られたものはありましたか。
 
農的暮らしを経験していく中で、一人でいい農業をしても限界があると思いました。そこで、町おこしのように地域全体で取り組む技法を学ぼうと、帰京して母校の東京農業大学造園科学科の研究生になりました。

そこで1年間学び、次の年は山梨の山間地で活動するNPO法人のスタッフになりました。
 

山梨の山間地でのNPO活動

―そこではどんな活動をなさっていたんですか?
 
最初に取り組んだのは、荒れた畑を再生する作業です。
雑草や、地面を這う太い蔓(つる)をナタで取り払い、木も石も運び出して、それからようやくトラクターをかけて耕します。土が痩せているので、最初に大豆を撒きました。
 
―なぜ大豆だったんですか?
 
痩せた土地だと、いきなり野菜を植えてもいいものができないんです。大豆のようなマメ科の野菜には、根っこに根粒菌という菌がいて、空気中にある窒素を根っこのところに取りこんで、肥沃な土を作ってくれます。1年目は大豆、2年目から野菜を植えるというふうに、数年がかりで畑を作ります。
 
―根気がいりそうな仕事ですね。
 
そうですね。NPOの活動費を得るために、種まきから味噌仕込みまで体験できる「大豆オーナー制」のイベントをしたり、当時は企画運営も行っていたので大変でした。

そこで自分の担当の畑を持ってハーブと花を作っていたのですが、そうしているうちに、減農薬などの認証制度が日本に入ってくることを知りました。それで東京に戻ることにしました。
 
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わなびやを始めたきっかけ

―わなびやを始められたきっかけを教えてください。
 
東京に戻り、当時結婚前の主人がデザイン事務所を始めていたので、そこを手伝いながら、「有機のお花屋さん準備室」として、農家さんと連絡を取る活動などを始めました。

30歳のときに結婚して子供ができて、引越し先を探すときに、ここの物件を見つけたのが、わなびやをやるきっかけでした。
 
―いま私たちがいるこの建物ですね。
 
そうです。もともとデザイン事務所をやるスペースと住居が一緒の物件を半年以上探していて、ここにはそれに加えて店舗のスペースもあったんです。

それまでは、子育てもあるし、お店を持つなんてまだ先のことだと思っていました。
でもせっかく店舗もあるし、出来る範囲でやればいいんだからという主人の後押しもあって、上の子が1歳を過ぎたころ、わなびやを始めました。
 
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仕事と子育て「できることをできる範囲で」

―わなびやの活動を教えてください。
 
現在のわなびやの活動は、子育てをしながらできることをできる範囲でやっています。

お店の営業はお休みさせていただいて、農家さんや花屋さんとの横のつながりをつくりながら、新鮮なお花をご自宅に定期的にお届けする、予約制の「お花の定期便」を中心に行っています。

食べられる花であるエディブルフラワーやハーブの料理教室、リースやブーケを作るワークショップなども不定期で行っています。
 
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―娘さんがおふたりいらっしゃるんですよね。
 
はい、長女が7歳で、次女が3歳です。昨年は同時に七五三でした。

昨年の4月に保育園に入るまで、下の子はずっと住居兼仕事場で一緒にいました。上の子もそうでしたが、3歳くらいまでは家で子育てをしたいという考えがあって、がんばってみました。

NPOにいたころ、子供は大人が農作業をする傍らで自由に遊んでいました。子供はときにはこけたり泥にはまったり、遊びのなかでいろんな経験をしていました。

私も仕事場がせっかく自宅と兼用なので、働く姿を見せていこうと思っています。
 
―仕事と子育ての両立はどんなことが大変ですか。
 
子どもがバケツを倒してお花を折ってしまって困ったり、家でこもりがちになるよりは、保育園に通って外に連れ出してもらった方がいいのかなと考えたこともありました。子育ての悩みは尽きないですね。
 

今後やっていきたいこと

―今後やりたいことはありますか。
 
やりたいことはたくさんあります。
オーガニックフラワーに興味を持ってくれた花屋さんや、無農薬の農家さんともっとつながること。興味のないお客様へ情報を広めることも課題です。

開店日を増やしたいし、商品もよりオーガニックなものを扱いたいです。個人的には植物を自然療法として活かす勉強もしたい・・・。
 
―やりたいこと、盛りだくさんですね!
 
はい。やりたいことは尽きませんが、私が向かう大きな理想は、すべての花屋さんでオーガニックのお花が買えることです。それが普通のことになるように、これからも活動していきたいです。
 
 

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12月の特集記事

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古庄佳苗(ふるしょうかなえ)

<プロフィール>
1976年9月11日生まれ 東京都練馬区出身
東京農業大学短期大学部生物生産技術学科卒業後、都内生花会社へ就職。
2003年 山梨県山梨市で有機農業で自給自足を目指す農的暮らしを住み込み手伝い
2004年 東京農業大学造園科学科の研究生となる
2005年 山梨県北杜市「NPO法人えがおつなげて」現地スタッフ参入
2007年 東京に戻り古庄デザイン事務所に勤務しながら 「有機のお花屋さん準備室」設立。結婚。
2008年 長女出産
2009年12月 「フラワーショップわなびや」開店
2012年6月 次女出産

わなびやは現在ウェブサイトのみで一部業務を続け、農家さんや花屋さんとの横のつながりづくり、異業種とのコラボ企画などに力を入れている。

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